掌編

麦茶

九月になった。夏が過ぎたとはいえ、日中は真夏と大差ない暑さが続いている。オフィスは冷房が効きすぎており、じっとしていると肌寒い。

昼休み、身体を温めるために温かいものを飲むことにした。ポットに熱湯を注いで暫く待つ。

「あ、それ麦茶?」

隣の同僚が話しかけてきた。

「うん。よくわかったね」

「香りでわかるよ。香ばしいもん」

「なるほど」

「麦茶、おいしいけど身体が冷えてしまうからよくないよ」

そう言うと、彼女は猫背気味の姿勢から背をのばし、スマホの画面をこちらに突き出した。

「“麦茶はホットで飲んでも体を冷やすので、冷え性の方は注意”だって」

「へえ」

「冷えって万病のもとだし、気をつけた方がいいかもよ」

「でも、麦茶ってカフェイン入ってないし、ホットなら大丈夫でしょ」

「いや、温度の問題じゃないみたいだよ。そもそも麦茶には内側から身体を冷やす働きがあるんだって」

釈然としないまま、パンを口に運ぶ。

「麦茶のカリウムが身体を冷やすんだって」

「まあ、利尿作用なくはないもんね。カリウム」

パンを飲み込み、彼女の食事を指差す。

「それなに?」

「なにって、ほうれん草サラダだよ。ほうれん草とツナと……あとはトマトとゆで卵」

「ほうれん草って100gあたりカリウム690mgくらいあるの、知ってる?」

彼女は目を丸くした。

「麦茶は1リットル飲んでもせいぜい60mgくらい。もしホットの麦茶でも“冷える”って言うんなら──」

笑いながら口を開く。

「山盛りのほうれん草サラダなんて食べたら、凍死するんじゃない?」

一瞬、彼女はポカンとした顔をして──そのあと、吹き出した。

「それはないってば!」と笑いながら抗議する。

「でしょ。だからさ、麦茶くらい好きなように飲ませて」

「……あんたってほんと、そういうとこあるよね」

呆れたように笑って、彼女は私にコップを差し出した。

「じゃあ、私にも少し頂戴」